(この文章は、このHPを開設した2012年当時に書いたものです。)
人は生きていく中で、時に感情が著しく不安定になり、苛立ち、攻撃的になったり、逆に不安や絶望感が押し寄せてきて自傷や生きていくのがイヤになる、そんな時もきっとあります。ただ、そうした状況が子どもの頃から続いたり、何年も何十年も継続している場合、医療受診が必要な場合もあります。ただ、そうした方は、「なんで、病院なんかいかなくちゃいけないのよ」と自ら医療受診されることは、とても少ないものです。また他のケースとして、あまりにも自己中心的な言動で周囲を混乱させる方への対応に苦慮されている先生方も多いようです。
そうした場合にどのように対応したらよいかをまとめてみました (げんき)
ここでひとつ重要なポイントをお伝えします。
それは 「不安定さは影響する」 ということです。
相手の不安定さを真正面から受止めると、相談を受けた側は、不安定になり、不安感や罪悪感を抱きはじめます。そして困ったことに、自分が巻き込まれていることに気づかなくなるのです。そのような状況で冷静な対応や客観的な判断はまず不可能です。こちらの判断も相手の勢いに押され、一貫性がなくなり、出来ることと出来ない事がごちゃごちゃになり、思わず出来ない事まで言ってしまうのです。
そのため、大切なのは、『自分ひとりで判断しないこと』です。できれば、園長や所長、他の職員など客観的な意見を聞けるように職場環境を整備することが最大のポイントです。
できれば、ケース会議を開くことなど、多くの意見を聞くことが重要になります。(げんき)
メンタル面が不安定な方への対応で、やってはいけないことが 3つあります。
それは ①感情的になること ②批判的になること ③反論すること
この3つです。
この3つのどれか、ひとつをやってみると 必ずトラブルになります。
もし、3つ同時にセットで行えば、それは取り返しのつかない大きな問題に発展することもあります。
学校現場に入って、色んな保護者の方と先生のトラブルに立ち会いましたが、この3つのうちの1つは必ず
含まれていました。この3つがどれも当てはまらないケースは、数あるケースの中でも1例もありませんでした。
感情的になっている方の話を聴くときに、こちらが あまりにも冷静に聴いていたり、逆にニコヤカであったならば、かえって、相手を怒らせてしまい、馬鹿にしているのかと益々感情を逆なでしてしまいます。しかし、「冷静さ」は大切です。
それは「冷静に聴く」のではなく、「冷静に考える」のです。頭の中で、その方の言っている内容から「いったい、どの部分が気分を害された原因なのか」を考えるのです。言葉の中から読み取るように心がけながら聴くことです。
人は考えながら、聴くと 自然に顔が無表情になり、とても神妙な顔になります。変に相手に合わせることだけに注意がいって、よく聞いているふりをしても、結局、相手が何に対して感情的になっているのか理解できていなければ、「あなた、いったい何聞いてたのよ!」ということになります。「ふり」は駄目です。真剣に考えることが大事なのです。(げんき)
これは、今までの「経験」からお話しますが、
『どんなクレームや批判的な意見にも必ず学びがある』ということです。
批判的になったり、反論すると相手は必ず「馬鹿にされた」と感じます。そしてプライドを傷つけられ、益々感情的に、攻撃的になります。でもよく考えてみてください。相手は あるメッセージをあなたに送っているのです。
それは「私の意見からもっと学びなさい」です。クレームとは「学び」なのです。でも、もしこちらのこころの中に「あなたのような人から言われたくないわ」という気持ちがあれば、それは「あなたからは学ぶものなし」という姿勢の現れなのです。そのクレームの中にある「学び」に気づこうとする姿勢こそ大事なのです。(げんき)
よく、先生方から褒めて頂くことがあるのですが、それは「元気先生は、反論の仕方が上手ですね。」だそうです。自分では気づきませんでしたが、、。ただ、経験的に行っていることがひとつあります。それは「反論は、相手が受け入れる準備が出来ていなければ、無意味だ」ということです。相手が感情的になって、カッカしている時には、誰も反論しないですよね。それは無意味であり、問題をさらに悪化させます。
人は「反論を受け入れること」ができるのです。ただし、そこには条件があります。それは、まず「こちらの論を受け入れてくれてから」なのです。相手の意見をしっかり受止めてあげると、必ずこちらの意見も受け入れてくれるのです。人には返報性(お返ししなければならない)という性質があります。受け入れれば受け入れられるのです。
こちらが受け入れていないのに、相手にこちらの意見を受け入れさせる。それはやはり無理があります。(げんき)
よく、パーソナリティ障害の方には、こう対応しましょう。モンスターペアレントにはこうしましょう。
というような内容をお見かけするのですが、なんとなく感じるのは、相手を「変わった人」という風に
まず最初から捉えている気がします。そうではなく、相手から学ぼうという、全ての人を「師」と見るようにするとものすごく学べるものが多いのです。素晴らしい先生、素晴らしい「師」というのは案外 最初は
「変わった人」に見える場合が多いような気がします。(げんき)
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