その369) なにを 「鏡」とするかで、行く先は変わるのです。



自分の姿を 自分で見ることは、できません。


自分の顔や表情を 自分で見ることは、できません。




見ることができるのは、「鏡」があるから です。  



「鏡」という 自分を映し出してくれるものが あるから



自分を見ることができるのです。






「自分の行動」も 同じです。



「やっている」という「感覚」は、感じることができても



「自分の行動」が 「なに」を表しているのかは、



自分自身では 決して見ることが できないのです。





「自分の行動」を見るためにも


やはり 「鏡」は 必要です。






営業マンや会社の経営者にとっての「鏡」は、「数値」 です。


「数値」が 「自分の行動」を 映し出してくれます。




農作物を作る人にとっての「鏡」は、 「作物」そのものです。


「作物」が 「自分の行動」を 映し出してくれます。




では、保育者にとっての 「鏡」とは なんでしょうか?





保育者にとっての 自分を映し出す 「鏡」


それは 「こどもたちの表情」であり、「保護者の表情」です。




その一人一人の表情の中に、 自分自身の「行動」が 映し出されます。


まさに、こどもたちや保護者は、 保育者にとっての「鏡」そのもの なのです。





「あのお母さん、もう少し ちゃんとしてもらわないと困るよね・・」


「どうして あんなに勝手なの・・・」


「もっと、協力してよね・・」




もし、相手に そう感じるのであれば




それは 自分自身を映し出している 「鏡」なのだと 


もう一度、振り返ってみることが 大切です。





自分自身の行動の「鏡」を 「なに」にするか、


その「鏡」ひとつで、 自分の行く先は 変わっていくのです。 (げんき)





 

  昔から、「鏡」や「水晶」のような 「映し出すもの」は、「未来」を映し出すと考えられていました。

  「未来」は、「鏡」に映し出されるのです。(げんき)