その378)『理由を考える』のは、自分の事だけにするのです。



「相手を思いやること」



とても とても 大切なこと です。




「思いやり」は、こどもの頃から 大人になるまで 様々なものを通して


今まで 教わってきました。



誰のこころの中にも 「相手を思いやらなければ」 そういう気持ちは きっとあるはずです。





でも、、、、間違った『解釈』をしてしまうと


その後、 自分自身を苦しめる「原因」にも つながるのです。




こうした相談を よく受けます。


「メールを送ったのだけれど、ぜんぜん返事がありません、、、、。


何か相手を怒らせてしまったのでしょうか、、、それとも嫌われてしまったのでしょうか、、


それとも 今 何か不安があるのでしょうか、、相手は どう思っているのでしょうか


思い当たる節を探しています、、どうしたらよいでしょうか、、」


といった内容です。





「相手の気持ちを思うこと」


まさに、この場合も そうですが、、 これは「思いやり」ではありません。




そうした方に 


「自分の中に 思い当たる節がないか 探しているんですね。


自分のやった事について なぜ そうやったのか理由を考えたことはありますか?」



質問してみると、 


「自分がなぜやったのか、そんな理由を考えた事など 一度もありません。。」


そう、お答が返ってきます。





実は、この考え方。 


全く、『逆』のやり方を しているのです。



「自分」と「他人」を逆にしているのです。





「事実は、相手。理由は、自分」 なのです。





相手の行動は、「事実」のみを受け止め、


自分の行動は、常に「理由」を考える。  のです。




このメールの相談の場合でしたら、


相手の行動は、「メールの返事を送ってきていない」です。



事実は、「メールの返事がない」だけです。



理由は、考えたところで わからないのです。


・お客さんが来ているかもしれない。

・後で返事しようとして忘れているかもしれない。

・体調が悪くて返事しているかもしれない。

・機嫌が悪くてメールする気になれないのかもしれない。



すべて 「かもしれない」なのです。


考えたところで、「理由」に辿り着くことは できません。



「事実」のみを受け止めて、「理由」は考える必要は、ないのです。





自分の場合は、逆です。


自分の行動には、「理由」を考えるのです。



この場合でしたら、


「なぜ、自分は メールの返事がない事に 不安になるのだろう。」


「なぜ、この前あった時に 連絡するねと言わなかったのだろう。」



そうやって、自分の行動の「理由」を考えるのです。





「相手の行動」の理由を探るのは、 『楽』です。


簡単にいくらでも 自分の好きなように 想像することができます。



でも、「自分の行動」の理由を探るのは、 『苦』です。


反省しないといけない自分や 嫌な自分に向き合ってしまうからです。





だから、人は 「他人の理由」は考えるけれど、


自分の「理由」は、考えたくないのです。





相手を「思いやる」とは、


相手の行動の理由を探ることではなく、


「きっと、なにか理由があるんだ」 


そう、思うだけで 良いのです。





「なぜ 相手は行動してくれないんだろう。理由は何なのだろう。」 と、


「きっと、なにか理由があるんだ。」



あなたなら、どちらに 「相手への想い」を感じますか? (げんき)




   1日中、理由に辿り着かないことを考えていると 誰でも こころが壊れてしまいます。

   「わからないものは、わからなくても良い」。 これが こころの健康のバロメーターなのです。(げんき)