その863)「●●●だから安心だよね」は、もう通用しない時代です。

 

 

「●●●だから、安心だよね。」

 

 

それが、もう通用しない時代になってきました。

 

 

 

「先生だから」「警察だから」「弁護士だから」「医者だから」「大人しい人だから」

 

「礼儀正しい人だから」・・ この●●だからには、なんでも入ってしまいます。

 

 

 

これまで信頼していたものが、突如として壊れてしまうと、

 

常に、人を疑っていなければならず、「安心」して生活ができなくなってしまいます。

 

 

こうしたニュースばかりを耳にしていると、不信感しか生まれないのです。

 

 

 

先週、保護者向け講演会がありました。

 

 

その中で、こんなご質問を頂きました。

 

 

「今の時代、いろんなものが信じられない時代になっています。人を疑わないといけない。

 

それを、こどもに教える際に、常に葛藤があります。どんな風に教えたらいいですか?」

 

 

という内容でした。

 

 

 

 

本当に 難しい ご質問です。 昔、ある歌の中にも こんな歌詞がありましたが、

 

 

「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて 傷つくほうがいい」

 

 

「初めから疑う」のか、「初めから信じる」のか  

 

 

やはり、そのどちらかになります。

 

 

 

もちろん、裏切られた時には、どちらであっても こころにはダメージが残ります。

 

 

人は、「増」よりも「減」の方が、深いダメージを受けます。

 

 

 

初めから疑っていて、「やっぱり、そうだった」と「増」になるよりも、

 

「信じていて裏切られた」となる「減」の方が、ショックは大きいのです。

 

 

 

 

人には、もともと「防衛本能」があります。

 

 

傷つきたくない、ダメージを抑えたい。

 

それがあるから、出来る限り 最初から「ダメージが少ない」考え方を選びます。

 

 

何かをする際に「あまり期待しない」のも同じです。

 

はじめから「受けるダメージ」を少なくする傾向があるからです。

 

 

 

こどもたちに それをどう教えていくのか。

 

それは、保護者の考え方によって異なるものであり、どれが正解というものはありません。

 

どちらであってもかまいません。

 

 

 

 

ただ、保育者がこどもに教える場合は、別です。

 

 

「信じること」を優先するからです。

 

 

 

「信じた後の結果」ではなく、「信じること」を教えることが大事だからです。

 

 

 

こどもがはじめて「集団」で生活する場は、この幼児期になります。

 

 

そこでは、もちろんトラブルが多く、裏切りも多いのが現実です。

 

だからこそ、「信じること」を教えてあげる 大変良い機会 になります。

 

 

 

もちろん、友達のものを取ったり、嘘をついたりすることも多くなりますが、

 

その際には、「相手から信じてもらっていること」を教えてあげる良い機会 になります。

 

 

 

「トラブル」が多いからこそ、教えてあげる機会も増え、教えることが大切になります。

 

 

 

 

 

こどもが受ける「ダメージ」を理解して、それを伝える方法も知っておくこと。

 

そうしたものを学び、保育者となります。

 

 

 

「運動」もそうですが、初めての学びには 必ず「クッション」が必要です。

 

保育者は「学び」の場での「クッション」の役割をしているのです。(げんき)