その885)「相談」とは「答えを得るため」ではないのです。

 

 

 

「相談」とは、「答えを得る」ために行うもの。

 

 

ふつう、そう考えがち です。

 

 

 

「相談」とは、「答えを得る」ための「行動」であり「場」。

 

 

そう、考えると

 

 

「ご相談者」は、その場で、必死に「答え」を得ようとします。

 

「支援者」は、その場で、必死に「答え」を出そうとします。

 

そして「答え」が出なかった「相談」は、あまり良くなかった という結果になります。

 

 

 

 

もし仮に、その「場」で「答え」が出たとしても、

 

その一瞬は、素晴らしいアイデアだ! となるかもしれません。

 

 

 

でも、相談の帰り道。 帰りの車の運転中や、帰りの電車の中で、

 

 

その「場」で出た「答え」に、

 

だんだんと「ほんとにこれでいいんだろうか」

 

そんな疑問を持ち始めます。

 

 

 

 

 

「相談」とは、新しい「視点」をえるための「場」です。

 

 

「答え」ではなく「視点」です。

 

 

 

もし、「ご相談者」も「支援者」も、そう思って その「時間」を過ごしたとしたら、

 

もっと、リラックスしながら、いろんなアイデアが 出るはずです。

 

 

 

自分が今 悩んでいるものを いろんな角度から見てみる。

 

自分が今 抱えている不安を 他の人が見ると どう見えるのだろうか。

 

 

 

 

「他人の視点」をえるための「場」

 

「他人の視点」から「ヒント」をえる「場」

 

 

 

そう考えると、「相談」の「場」は、もっと「自由」でのびのびとしたもの になるはずです。

 

 

 

 

 

 

「相談の場って、緊張しますよね」

 

 

誰もが、感じる その思いとは逆に、もっと楽に自由な「場」になると

 

 

そこには「安心感」が生まれます。

 

 

 

 

「安心感」というのは、「答え」が出たから生まれるものでは ありません。

 

 

「なんだ、そう考えたらいいんだ」

 

 

そうやって、抱えているものを気楽に感じることができるから生まれるのです。(げんき)