その935)「人間関係に亀裂が入っていること」に気づく人・気づかない人

 

 

「人間関係に亀裂が入っている」

 

 

これは、誰であっても すぐに分かります。

 

 

すでに「亀裂が入っている」形が表現されているから です。

 

 

目をそらしたり、無視したり、電話に出なかったり、遠ざけれらたり、

 

そうした「雰囲気」や「相手の表情」で それを感じることはできます。

 

 

 

では、「人間関係に亀裂が入り始めている」ことに気づける人は 

 

果たしてどのくらいいるでしょうか?

 

もちろん、先ほどよりは、ぐーんと少なるはずです。

 

 

 

「亀裂が入り始めている」というのは、まだ「入っていない」ということ。

 

 

まだ、見えず、感じずの状態 です。

 

 

 

 

「見えないもの」が見えて、「感じないもの」を感じる。

 

そういう 感覚が必要になります。

 

 

 

 

現在、新型コロナウイルスのおかげで、みんな 疲れています。

 

そんな中で、よく頂くご相談が「保護者との関係」「同僚との関係」です。

 

 

 

なんだか ギクシャクし始めている。

 

少し、関係に変化が起こっている。

 

 

そうした内容の「ご相談」になります。

 

 

 

もちろん、保護者と力を合わせて 連携できている園もありますが、

 

中には、互いの対応に「イライラしている」。そんな園も少なくないはずです。

 

 

 

こうして「ご相談」を頂くということは、

 

「亀裂が入り始めていること」に気づいているので良いのですが、

 

 

 

相手は、内心イライラしているのに、そこに気づいていないとしたら、

 

どこかの「タイミング」で、いつかきっと爆発するでしょう。

 

 

 

 

「今」大切なことは、「関係に亀裂が入り始めている可能性もある」

 

 

そう感じること です。

 

 

 

人間関係も含めて「安全・衛生」というのは、すべて「予防」です。

 

 

「対処」ではないのです。

 

 

 

起こる前に対応する。 これが「安全・衛生」の基本です。

 

 

 

多少、周囲から「そんなことないよ、心配しすぎだよ」

 

そういって みんなから笑われてしまう。

 

 

 

 

実は、そのくらいで 「ちょうどいい」のです。

 

 

 

もちろん、これは「心配性」ということではありません。

 

「心配すること」と「察すること」は、全く別のもの です。

 

 

 

「新型コロナウイルスで大変な状況」=「関係に亀裂が入る可能性がある」

 

 

「大きな変化」=「関係に亀裂が入る可能性がある」

 

 

 

 

この「公式」が、こころの中にある人こそ

 

 

「気づける能力」を持った人なのです。(げんき)